救い主・依田君美様 終戦後
「依田君美常設展」
終戦後は山梨に帰りますが、職がないため生計を立てるために
担ぎ屋(地方から反物や魚などを仕入れてきて売り歩く仕事)をしたりビスケットを焼きました。
宮城から魚を仕入れて、金子峠(きんすとうげ)を上り上帯那町に持っていきましたが
前日に別の人が来て売っていたため売れませんでした。
それを故郷の柳川に持っていき知り合いに配ったところ
代わりに米や豆などをくれたというエピソードがあります。
写真はイメージとして弥勒館近くの金子峠と等身大パネルの救い主・依田君美様です。
こちらの等身大パネルは2016年の生誕100周年企画用で使用された物です。
等身大パネルの写真は※東洋館にて撮影日1995年7月31日
※富士山の7合目(海抜約3,000m)にある山小屋
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