救い主・依田君美様 桂製作所時代

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    「依田君美常設展」

     

    三重師範学校へ行くときに東京美術学校の恩師よりカメラの修理を依頼されます

     

    そのカメラはドイツ製で上海まで持っていっても直らなかったものでしたが

    見事に修理したことがきっかけとなり、1944(昭和19)年に東京の軍需会社の

    桂製作所の技師としてスカウトされました。

     

    軍需会社に入ることは躊躇されましたが、断れば徴用令を出すと言われたため

    承諾せざるを得ませんでした。

     

    陸軍省から依頼された偵察機用カメラでは独特な設計をし、メーカー6社の試作の中で

    救い主・依田君美様が製作されたカメラが採用になりました。

     

    しかし、東京の空襲でカメラは焼失したため、戦犯としての責任は免れました。

     

    また軍需会社も空襲で焼けてしまい仕事がなくなってしまったので

    第2次世界大戦終戦まで時計の修理やハンコ彫りなどをしていました。

     

    天皇の玉音放送に「バンザイ」と叫び、会長が怒鳴り込んできたというエピソードもあります。

     

     

    桂製作所に就職された頃に描かれたスケッチ2枚。

     

     

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