救い主・依田君美様 三重師範学校時代 1

0

     

    「依田君美常設展」

     

    1943年、三重師範学校の校長にスカウトされて三重師範学校に転職しました。

    転職の理由は「奈良が近いから」でした。

    教諭兼助教授の待遇で迎えられ、学校では図画工作の教師を務め航空力学を教えていました。

    軍国主義の時代で色々な模型飛行機ばかり作っていました。

    ですが時々、郊外授業だと言って、学校近くの公園へ生徒を連れ出し

    絵や本やハーモニカなど各々の好きなものをさせてあげました。

    そして「この時間は自由だ。戦争を忘れろ。そのかわり集まる場所と時間は守れ。」と言い

    皆はよろこんで、ひっくり返って本を読んでいたり、スポーツをやったり、色んなことをしました。

    学生からは「坊ちゃん」「ジツリキ(実力)」と呼ばれて慕われていました。

     

    同年、三重師範学校から派遣され、山梨高等工業学校(現在の山梨大学)にて

    機械工作履修全課程を夏休みの間に修了しました。

    工作機械室で、初めて使用するミーリング機械で五弁の花を制作しました。

    10年のキャリアを持つ職人でさえ不可能な造形・旋盤・仕上げ・鍛接等だったため先生が驚きました。

    本来は、旋盤職人・仕上げ職人と各々に分かれています。

     

     

    角ネジ山型ネジ

     

     

    ミーリング機械試作

     

     

    歯車

     

     

    直角定規

     

     

    こちらの記事をご覧になられた方へブログ向上のため

    よろしければ下記のアドレスをクリックして簡単な質問にお答えください。

    http://goo.gl/forms/Bgk5atY2nVdcCx7g2



    calendar

    S M T W T F S
    1234567
    891011121314
    15161718192021
    22232425262728
    2930     
    << September 2019 >>

    map

    selected entries

    categories

    archives

    links

    profile

    書いた記事数:162 最後に更新した日:2019/09/13

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM